M&AでIT部門がはたすべき役割とは?─ITの分離・統合の要点

CIO Lounge正会員・岡島 万樹

 企業成長の重要な手法であるM&A(合併・買収)は、ここ数年、国内外で件数・金額共に増加傾向にあります。国を超えた企業間の競争が激化する中、技術や市場を一気に獲得し、市場での存在感を高めようとする企業の戦略が背景にあります。特に日本では経営者の高齢化や後継者不足で事業承継に悩む中小企業の打開策、あるいは今も続く低金利や円安といった経済環境も、M&Aを後押しする要素になっています。

 私は2017年~2024年の間、年商2兆円超の大手電子部品メーカーに情報システム担当役員として勤務し、同社の成長戦略であったM&A案件に立ち会う機会が多くありました。その経験の中で、買収交渉締結の前後にあるデューデリジェンス(Due Diligence)とPMI(Post Merger Integration)において、ITの重要性が増していると感じています(表1)。

  デューデリジェンス PMI
目的 買取対象企業の価値やリスクを評価 買収後の統合プロセスを円滑に進める
時期 買収交渉・契約締結前 買収後
主な活動 財務調査、法務調査、事業調査、IT調査など 経営統合、業務統合、人事統合、IT統合など
ポイント 正確な情報収集、客観的な分析 統合計画の策定、コミュニケーション、文化の融合

表1:デューデリジェンスとPMI

 デューデリジェンスは、買収対象となる企業の価値やリスクなどを調査し、買収価格算定の基礎となるもので、従来は事業の実態や人事・財務・法務などが主たる調査対象でしたが、最近ではITも重要になっています。

 PMIは、経営や業務基盤、さらには企業文化などに関して、買収後に行う一連の統合プロセスを指し、多くは被買収企業のそれらを買収企業に統合します。ITもその1つで、ITが経営判断や事業遂行に欠かせない経営基盤であるだけに、PMIによって問題が生じるような事態は避けなければなりません。したがって、買収前のIT環境から買収後のIT環境にいかに円滑に分離し、統合するかが重要な要素になります。

 ここでは、M&Aにおける買手側の視点で、私自身の経験からITの分離・統合の要点を説明したいと思います。

M&AにおけるITの分離と統合

 M&Aには、合併や株式取得による事業会社の買収、事業の一部を取得する事業譲渡などさまざまな形態があります。その際、譲渡対象の企業や事業部門が利用しているIT環境の状態によって、そのITの移管、つまり売手側からの分離と買手側への統合が発生します。買収する企業や事業のITが完全に独立した環境(自社で所有し、関連するベンダーなどとの契約もすべて自社で行っている場合)であれば、分離する工程は不要となり、統合だけを考えればよいことになります。

 しかし、企業グループの傘下にある子会社を買収するような場合、その子会社が親会社の提供するITを使っているケースがよくあります。その場合、売手側との間でTSA(Transition Service Agreement:買収後も売手側のITを継続使用するための契約)を締結し、合意した期限内に子会社のITを親会社から分離しなければなりません。

 TSAでは、利用中のすべてのアイテムごとにサービスレベルや利用料金、経年状況などの情報のほか、期間内の契約更新の要否や改善要望の扱いなど多くの項目を取り決め、最終的な利用期限を決定します。ITの分離は、売手側と買手側の双方が協力してこそ成しえるものであり、双方にそれ相当のコストがかかります。

 そのため買収交渉締結前のITデューデリジェンスは、売手側にも買手側にも大変重要です。その目的は、買収対象である企業や事業体が保有するIT資産やリスクを分析、買収価格の算定やディール自体に影響し得る要素を把握し、買収完了後のIT統合作業を円滑に着手するための情報を収集することにあります。

 実際の調査では、保有するアプリケーションやインフラの整備状況、使用資源の状況、関連する契約の状況などIT資産に関わる情報に加え、これらを管理運用するIT部門の組織体制や経年のIT投資とコストの状況など、非常に広範囲に及びます。

 上述したIT環境の独立性、言い換えると売手企業への依存度もこの時、把握します。ITの分離に際し、アプリケーションやインフラなど売手側である親会社のITを利用しているケースのほか、データベースの共有度合や情報セキュリティなどの規程基準なども分離の対象になります。そしてこれらの情報を基にTSAの条項として、対象ITアイテムごとの利用料金や利用期限を定め、買手側としてはサービスレベルの維持と料金の合理性を確保したうえで、期限内での分離を売手側と合意します。

 一方、PMIの目的は経営やビジネスが要求するシナジー効果を早期に創出することにあります。そのために企業グループとしてのガバナンスやコンプライアンス、事業の継続性などを意識しながら事業や業務への影響、移行に伴うコスト負担、一方では各システムの更新タイミングやシステム間の連携度合なども総合的に判断しながら、適切なシナリオを策定していく必要があります。

 買収した会社や事業を売手側から分離して独立した状態にすることを、カーブアウトと言います。実際には、分離は買手側によるPMIと一対で常に同時に実施していくため、カーブアウトは売手側と買手側の双方が合意しながら進める共同プロジェクトの様相を呈します。

経験事例から学ぶITの分離・統合

 私が在籍していた会社では、累計70件に及ぶ企業買収を重ねて成長を遂げてきました。在籍中も複数の買収案件を経験しましたが、なかでも買収当時の年商が約1300億円規模の同業他社の子会社の買収案件では、一部の生産・開発系システムを除きネットワークなどのインフラや販売・管理系の基幹システムは親会社への依存度が高く、約70のアイテムについてTSAを結び、分離期間も最長3.5年で合意しました。

 買収完了(クロージング)後、被買収企業は買手側企業グループの一員として事業を開始します。この時点では、社名などのブランドの変更や連結決算などの企業グループの経営管理に関連するガバナンス対応が優先するため、買手側の対応としては、企業紹介のホームページや従業員のメールアドレス(ドメイン名)の変更を実施、さらに会計・決算関連のITを先行的に切り替える案もありましたが、周辺システムとの連携が多く複雑なため、この時点での統合を見送りました。一方、売手側の対応では、被買収企業が売手側の環境下にあるアプリケーションやファイルサーバーなどを継続して利用するため、売手側でのセキュリティの観点から個別のアクセス制限が必要となり、この時点では売手側に多くの対応が発生しました。

 約70のITアイテムにはさまざまな業務アプリケーションに加えて、PCや電話などのデバイス群、ファイルサーバやEDIといったインフラ系サービスも含まれます。大半は、売手側の親会社が開発したシステムや導入した外部パッケージなどで構成されており、親会社の運営するデータセンターとネットワーク上で複雑に相互連携しながら稼働する状態にありました。これらをいかに分離し統合するか、統合計画の作成にあたり、分離・統合のそれぞれで基本方針を設けました。

 売手側IT環境からの分離にあたっては、業務への影響範囲やシステム間の連携の複雑度を考慮して3つのシステム群に分け、それぞれを段階的に移行する。買手側IT環境への統合では、「売手側システムを継承する」「買手側のシステムを導入する」「独自システムとして構築する」の3方式のいずれかにする方針を定め、ITアイテムごとに最適な移行方式を評価して実行計画を作成。そして、売手側、買手側および買収した会社の3社合同による実行プロジェクトを開始しました。

IT部門は少しでも早くM&Aの検討・準備に参画を!

 最終的に売手側のネットワークを切り離し、分離・統合は2.5年で完了しました。TSAの期限よりも1年早く終える事ができたのは、ディール前の情報収集と分析を通じ、売手側、買手側および買収した会社の3社が、TSAの早期完結を目標に協力してプロジェクトを進めた点にあります。

 経営や事業とITの密接度が増し、ITの機能も高度化する中、ITの分離・統合の難度は益々高まります。そんな中でいかに円滑にITの分離・統合を進めるか、秘匿性の高いM&A案件の準備段階に、IT部門も少しでも早く参画しディールへの影響を進言できるようにしたいものです。

筆者プロフィール

岡島 万樹(おかじま まき)

元ニデック 執行役員 情報システム・情報セキュリティ担当。松下電器産業(現パナソニック)で30年にわたりITを経験。子会社役員を経て、日本電産(現ニデック)に転籍、M&Aを背景にグループのIT統制を推進。ゴルフと歴史が好き。信条は「着眼大局、着手小局」の実践です。