大学の経営統合から展望するイノベーションのあり方

CIO Lounge正会員・峯尾 啓司

 先日、母校である東京工業大学の同窓会に出席し、私の2年先輩である益一哉学長と話す機会がありました。東工大は現在、東京医科歯科大学との統合を進めています。よく大学の統合は少子化に伴う学生数減少への対応と言われますが、益学長はそれ以上に、「日本の失われた30年への反省が込められている」と仰っていました。

 どういうことでしょうか? 益学長は電子工学系の出身で専門は半導体です。日本の半導体産業に長年関わる中で、「日本は技術でまさっていた。しかし事業で負けた」。半導体産業に限りませんが、「事業で勝つ戦略を政府、企業が推し進めていれば、日本の失われた30年はなかったのではないか」という反省から大学改革を進めているとのことです。

 学長の問題意識は、技術至上主義で経営マインドが弱い人材を輩出した大学には責任があるというものです。そして大学の存在意義は何か、社会のイノベーションを創出するために何をすべきかを考え、技術に加えてビジネスを理解した人材を輩出し、社会や企業と連携してイノベーションをリードするのが大学のあるべき役割としたわけです。

 そのため統合の形式として、他の多くの大学が採用する「1法人複数大学」ではなく、東工大と医科歯科大は「1法人1大学」を選択しました。規模の拡大ではなく、より大きなシナジー効果を創出するために1つの大学にし、並行して人材輩出の在り方を見直したいとの思いからだそうです。

 益学長と話ながら、私は長く勤務したブリヂストンによるM&Aを想起しました。1988年、自社よりも規模の大きい米ファイアストン(Firestone)を買収したのです。買収後、経営を揺るがすほどの赤字とリコールを経験し、企業カルチャー統合の苦難にも見舞われました。異なるものを取り入れ、そこから何が生まれるのか当時はまったく見えませんでしたが、それが今日の世界のブリヂストンを支えていると言っても過言ではありません。トップが高い問題意識を持って大きな決断をすること、そしてイノベーションの重要性を今さらながらに実感しています。

 残念なことに、こういった例は多数派ではないように思えます。中学の同級生で米国会計法人の上級役員になった友人は「1990年代から2000年代、訪米した日本の官僚や大企業の幹部と会話する機会があった。米国で起きていることを話すと、『米国は凄いですね』などというだけで、自分事として捉えようとしなかった」。失われた30年はそこにあると考えています。

 私自身も同様のことを痛感した経験があります。北米に7年勤務していた間や、2015年頃にシリコンバレーのさまざまなベンチャー企業を訪問しましたが、そこに中国人や韓国人はいても日本人はほとんどいなかったのです。個人のマインドセットの面で、失われた30年が続いていることを痛感しました。イノベーションを担う人材やベンチャー企業をもっと創出する。それが日本にはまだ不足していると思います。

イノベーション、そしてDXの進め方

 イノベーションとは、それまでのモノ・仕組みなどに対してまったく新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出して社会的に大きな変化を起こすこととされます(注1)。「経営や業務にデジタルを融合させ、新たな価値を生み出すイノベーション」がデジタルトランスフォーメーション(DX)と私は捉えています。縁があってITの世界に飛び込み、現在もITの業務に携わる中で、今まさにDXに立ち向かっています。

注1:ウィキペディア日本語版の「イノベーション」項より。参考文献『大学イノベーション創出論─東工大発・未来社会DESIGNの挑戦』(益一哉著、日経BPコンサルティング刊、2020年)

 DXを推進する上でよく問題となるのは以下の4つです。

①DXという言葉が先行し、変革手段ではなく目的になっていること
②デジタルを活用した新しいビジネスニーズの提案や業務改革案が出てこないこと
③提案があっても現場やリアル、ビジネス課題と乖離していること
④カルチャーの問題、特に失敗を容認するカルチャーがないこと

 私は経営工学の技術士でもあり、生産技術(IE:Industrial Engineering)を専門として取り組んできましたが、企業IT責任者としての経験から、かつてIEで進めてきた標準化、カイゼン、そしてグローバルに展開していく技術は、ITの世界に、そしてDXに通じると考えています。IEではまず実態を計測し、データを分析、そして可視化・モデル化することで現場の問題をリアルに把握します。そこから改善や変革を起こしていきます。

 イノベーションとは、それまでのモノ・仕組みに新しい技術や考え方を取り入れることです。現場・リアルを捉えずにDXを進めようとすれば、新しいビジネスニーズ提案や業務改革案が出てこないのは当然です。まったくのゼロからイノベーションは出てきませんから、IEが役立つのです。

 実際、IEでは現場力・リアルを重要視し、工場でもオフィスでも、まず何がプロセス上の課題なのかを見極めます。その眼力が重要ですが、課題を見抜いて、そこにデジタルを使うことでどのような変革が生まれるかを創造する。多くのDX成功事例も同様ですが、現場力・リアルが大事だと思っています。

 日本はもっとイノベーションの力を持ったベンチャー企業を増やしていかなければなりません。いま私はCIO Loungeという場におり、デジタルを中心としたイノベーションに向き合っていますが、企業IT責任者のOBとして、技術士として、企業イノベーションの促進とベンチャー支援に向けて積極的に動いていきたいと考えています。

筆者プロフィール

峯尾 啓司(みねお けいし)

1979年、ブリヂストン入社。SCM本部本部長、生産技術本部長、工場長を経て、IT本部長とIT子会社のブリヂストンソフトウェアの社長を経験。米国で2回、計7年の勤務経験がある。2019年、オムロンに転職し、全社で進めているグローバルの基幹システム再構築プロジェクトの顧問。CIO LoungeではSCM分科会に所属。このほか、システム部長友の会in京都メンバー、京都技術士会会員、蔵前技術士会会員、近畿本部経営工学部会会員、蔵前工業会京滋支部幹事。趣味は、今は京都のグルメと演劇、庭園鑑賞。水泳。ブリヂストンの工場長の時にスポンサーをしていたJ1サガン鳥栖の応援。