リベラルアーツと多様性、そしてIT・DXへ
筆者は大阪の地方銀行で営業や企画業に携わった後、システム担当役員を3年程ほど務めました。さまざまな業務を担う中で戸惑ったり悩んだりすることも多く、他社のIT責任者の方々に教えを請いながらやってきました。それが交流を広げるきっかけとなり、多くの知己を得ましたし、3年前にCIO Loungeのメンバーとなりました。
そんな筆者が本コラムで何を書けばよいか? ITの専門家ではないにもかかわらず、曲がりなりにもシステム担当役員を務めることができた原動力の1つであるリベラルアーツと多様性について述べてみます。題して「リベラルアーツと多様性、そしてIT・DXへ」です。
リベラルアーツとイノベーション
リベラルアーツについて、読者の皆様はすでにご存じだと思いますが、あえて改めて説明します。日本では“一般教養”のこととされ、端的には大学の専門課程に進む前に教養課程で習得する知識や教養を指すのが、一般的な認識でしょう。
しかしリベラルアーツの本質はもっと深いところにあります。それを象徴するのが、アップル創業者であるスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)氏の有名な写真です。ステージに立つジョブズ氏の後ろに直角に交わる2つの標識があり、1つには“TECHNOLOGY”、もう1つには“LIBERAL ARTS”と表示されています(写真1)。
リベラルアーツの起源は古代ギリシャに遡り、当時のギリシャ市民が学ぶ必要があるとされた自由七科(具体的には文法学、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽)を指します。とはいえ、単に七科を学ぶわけではありません。各分野の知識に加えて、表現力や論理的思考、自然観察力など知識人として培うべき総合力、さらに好奇心や探求心、芸術を理解する感性なども含みます。筆者はこの点にこそ、リベラルアーツの本質があると思います。
こう理解すれば、アップルはテクノロジーとリベラルアーツの交差点にあり、それこそが同社のDNAだとするジョブズ氏の話が浮かび上がってくるのではないでしょうか? 事実、イノベーションは新しいテクノロジーの発明だけではなく、人々の生活を便利にしたり変えたりするよう、すでに存在する技術を新たな発想で組み合わることも含まれると言われます。iPodしかり、iPhoneしかりです。
専門分野で尖ることも重要ですが、より高く尖っていくためには、裾野をより広くすることが必要です。そういった意味でイノベーションは背景にある幅広い知識や経験とは無関係ではないどころか、強い相関関係があります。画家・哲学者であるフランシス・ベーコン(Francis Bacon)氏の言葉「知は力である」は、まさにそうだと思います。
集合知と多様性
この「知」について、我々がもっと意識するべきなのが「集合知」ではないでしょうか? 集合知、つまり多くの人の知見が混ざり合って生まれた知恵や知的の体系のことです。優れた個人のひらめきは確かに素晴らしいものですが、それらにしても多くの場合、多彩な人間関係から生まれる集合知があって生まれるものでしょう。1人だけでひらめくこともあるかもしれませんが、大勢でワイガヤしている方がひらめきが生じやすいはずです。
そんな集合知の鮮度と密度を上げていくために欠かせないのが、本コラムのもう1つのテーマである多様性です。この概念は、ジェンダー問題や企業における女性登用などといった観点で語られることが多いのですが、最近の研究では集合知に磨きをかける重要な要素だからこそ多様性が重視されるようになっています。
簡単な話、日本の企業や組織は、同質性が高いと言われます。筆者が長年働いてきた銀行などは特にそうです。同じような環境で育ち、会社に入って仕事をする中で、私たちはまったく意識せずに一定の偏見を植え付けられています。いわゆるアンコンシャスバイアスです。この偏見を克服するためには、そのようなバイアスの存在をしっかりと認識するとともに、「自分が考えていることは正しくないかもしれない、他の人が言っていることが正しいのではないか」と、謙虚に受け入れることが重要です。
この集合知や多様性の効果に関しては、多くの研究成果が報告されています。個人よりもグループのほうがより正しい判断を導ける。さらに性別や年齢、育った環境、さらには「趣味趣向などが異なる人が集まっているグループの方が圧倒的に有意な結論を導き出せる」との研究もあるようです。要は、自分とは異なる多くの人たちとの交流が何よりも重要だということです。
「権力は必ず腐敗する」という格言がありますが、これは自分と異なる意見や考え方を排除した結果、考え方の軸が大きく偏っていくことを示します。これに関しては、『多様性の科学』(マシュー・サイド著)に多くの事例が紹介されています。この本では、多様性による「反逆者のアイデア」が集合知を生むとし、集合知が発揮される条件はいかに自由な意見交換ができるか、互いの反論を受け入れられるかにかかっているとしています。
いずれにしても、大切なことは、他者を受け入れられる柔軟性をどれだけ確保できるかであり、組織が同質的、画一的であること大きな問題なのです。この多様性と集合知は、IT人材の育成にも欠かせない観点だと思います。
そしてIT・DXへ
最後にITです。2022年、日本酒の「獺祭(だっさい)」で知られる旭酒造 桜井博志会長の講演を聴きました。その際、同会長の「ITでデータを集めれば集めるほど多くの人材が必要」という言葉が筆者の心に強く残っています。これはデータを収集すればするほど分からないことも増え、より多くの知見が必要という意味だと思われますが、筆者はITは必ずしも省力化や効率化だけが主たる目的ではなく、逆に多くの人たちの能力を活かすためにあるのだとも理解しました。
このように目の前の何かを効率化するだけならともかく、そうではない本来のIT活用やDX推進はそれに携わる人の幅広い知識(リベラルアーツ)に支えられます。同時にユーザーやマイノリティなどの多彩なニーズも考慮することにより、より価値のあるイノベーションが生まれるのではないかと思います。
この点では筆者が参加するCIO Loungeも同様です。現時点で正会員・アドバイザー合わせて56名になりました(2023年1月1日現在)。失敗を含めた様々な経験や多彩な趣味・得意分野など、多様性の宝庫です。規模だけではなく活動範囲もますます拡大しています。筆者も微力ながら企業数の99%以上を占める中小企業の活性化に貢献したいと毎日を過ごしています。
最後に一句、挙げておきます。「集まりて さらに輝く 冬の虹」──「冬の虹」は冬の季語。虹の中でも儚さと美しさが際立ったものとされています。
筆者プロフィール
齊藤 昌宏(さいとう まさひろ)
1954年生まれ。大阪市にある地方銀行の池田泉州銀行にて営業や本部企画部門、システム部門担当役員などを歴任。その後、監査役を経て2022年6月に退任し、現在は社外取締役や顧問に従事。CIO Loungeではセキュリティ分科会と書籍出版チームに所属。趣味は「浅く広く」をモットーに、読書(経済金融、経営やビジネス、文学や哲学など)、俳句、寺社仏閣や城巡り、美術鑑賞、ゴルフなど。