CIO LoungeMAGAZINE_2024autumn
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矢島 森島社長 矢島 サッカー人生の軌跡森島社長の原点とヤンマー時代森島社長 本日はご多忙の中、貴重なお時間をいただきありがこちらこそありがとうございます。森島さんはずっとセレッソ一筋ですが、まずはご自身私は広島で生まれ、中学卒業後、当時サッカー 3(記事は2024年4月当時の内容です)2024年4月16日、大阪市の長居公園にセレッソ大阪を訪問し森島社長と対談しました。セレッソ大阪は「サッカーを核とする事業を展開し、夢・希望・感動にあふれたスポーツ文化の振興と地域社会の発展に貢献するクラブ」をミッションとして活躍されています。クラブ名のセレッソ(CEREZO)はスペイン語で「桜」を意味します。桜は大阪の市花であるとともに、日本を代表する花でもあります。地域に根ざし、ここ大阪から日本を代表するクラブへ、そして世界で満開の夢を咲かせるクラブへとの思いがクラブ名に込められています。とうございます。のご経歴をお教えください。王国だった静岡の東海大学第一高等学校に進学しました。すでに先輩たちはヤンマー(ヤンマーディーゼルサッカー部)に行っていました。私は1991年ヤンマーに入りましたが、当時から、どこの企業もプロ化に向けた準備を進めていた時代でした。私が入った頃は、半分がプロ選手で半分がアマチュアといった状況でした。 株式会社セレッソ大阪代表取締役社長 森島 寛晃様 × 矢島 孝應 CIO Lounge理事長 2024年4月16日(火)特集 理事長対談Special DialogueSpecial Dialogue“未来の子供達に大きな夢を与えられる”そんなクラブに

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