センチュリー交響楽団の理事長をされているとのことですが、これは無償でなさっているのですか?のオーケストラはどこも非常に苦しい状況なので、是非、皆さんにもご支援をお願いできればと思います。される方が多いように思います。桜井会長は、旭酒造の経営者をなさっているわけですが、ご経歴を拝見しますと、学校を出られて一旦旭酒造に入社されました。しかしその後退職されたと伺っています。そのあたりの経緯からお話を伺いたいと思います。ずっと下降線の状況でした。私が大学を卒業して酒造業界に入ったのが、ちょうど1973年でした。その後、父がいる旭酒造に一旦帰ったのが1976年でしたでしょうか。その時既に売上は低下傾向にありましたが、父は、高度成長時代に経営者になり成功した体験がありますので、経営方針は従来と同様、今のままで良いというわけです。父はそれでいいかもしれませんが、我々としては、これから先何十年とあるわけですから不安もあり、さらにオイルショックもありましたので、当時我々は非常に焦っていましたね。ところが、父にしてみたら、私がわけのわからない稚拙なことを言っていましたので、腹立たしいと思ったみたいです。「お前、明日から出てこんでいい」と言われました。父からすれば、おそらく明日になったら頭を下げて「宜しくお願いします」と言ってくるだろうと思って言ったのだろうと思いますが、私の方からすれば、来るなと言われたのだから、それならそれで、「もうやめます」と、やめてしまったような次第です。た。戻るときのお気持ちは如何でしたか、その時はどういう決意を持って戻られたのですか?桜井会長 はい、無償でさせていただいております。日本矢島 経営者の方は、音楽にも精通され、文化を大切に桜井会長 日本酒業界は、1973年をピークに、その後矢島 その後お父様が亡くなられて旭酒造に戻られました息子ですから、目にもの見せてやろうというような気持ちで引継ぎました。後、どのような経緯で今の杜氏のいない酒蔵という形になったのでしょうか?なっていて下降線をたどっていました。酒蔵のある地元地域も山の中で、新たに開拓できるような市場も近くにありません。そんな中で生き残っていこうとした時に「売る酒」ではなく、「売れる酒」を造らなくてはいけないことから「いい酒」を造ろうということになりました。当然、杜氏にもプレッシャーがかかることとなりました。私がプレッシャーをかけ続けていたところ、杜氏にしてみれば、「他の酒蔵だったらここまで言われることはない、何で俺はここまでやらなければならないか」という思いがあったようです。一方で、ちょうど私がレストランの地ビールで失敗したタイミングでもありました。なにしろ、2億円の売上の酒蔵が1億9千万円の損害を食らったわけですから、たいへんでした。杜氏からしてみれば、給料ももらえそうにないという心配もあったように思います。それで杜氏がやめていったことから、私は自分で酒を造り始めたというのが経緯です。と自信をもっておられたのですか?うもない状況で他に選択肢がなかったから決断ができたわけです。決していくつもいくつもある選択肢の中から選んだわけではなく、他に選択肢がなかったからですね。しょうか?そのころ70歳台の杜氏さんくらいしかいないわけですよ。ど桜井会長 これはね、なまなましい話ですが、一旦クビになっ矢島 その時は、杜氏の方はまだおられたのですね。その桜井会長 私が継いだ時は、既に売上がピークの1/3に矢島 当時、杜氏の方がいない中、お酒を造ることができる桜井会長 いえいえ、自信は全くなかったですね。どうしよ矢島 新しい杜氏の方を採用することも考えられたので桜井会長 考えました。ですが、いろいろ調べてみましたら、んどん高齢化していまして。今でも高齢化していますが・・・。そうすると、以前の杜氏も高齢化とともに問題になっていったのですが、仮に採用しても、結局同じように仕事をやります。いろいろ変革していかなければならない時期であるにもかかわらず、従来のやり方が理想だと思って以前と同じことをやります。ですから、もう杜氏制度ではダメだと思いました。すが、御社の役員の方や従業員の方は、桜井さんの決断に対して、皆さんは「わかりました!」という状況だったのですか?して危機的状況だったことから、これはもうやらせるしかないと思ったのだろうと思います。で進められたわけですね。そうした中で、まず、最初に取り組まれたのは何でしょうか?今でこそ、データ管理だとかいろいろ話題になっていますが、何から着手して今の形を作られたのか、どんなステップを踏まれていかれたのでしょうか?矢島 その当時、これは社長としては大きな決断だと思いま桜井会長 「わかりました!」というよりも、もう酒蔵と矢島 そうなのですね。皆さん、これで行こうということ桜井会長 私が杜氏の酒造りに関して一番難しいなと考えて4Hiroshi Sakurai Takao Yajima
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